オーブ、オートマルヌ、マルヌ、エーヌ、アルデンヌ県にわたる地方名で
バッサン・パリジャンすなわちパリ盆地の北東に位置する。
ラルースの地図などにはシャンパーニュ・プイユーズとある。
10世紀にはヴェルマンドワ家、11世紀からはブロワ家の属領だったが
1285年にフィリップ・ル・ベルによりフランスに併合された。
小プリニウスが92年にアイと呼ばれるランスのワインを除いたら皇帝たちに勧められる
ガリアのワインはないと書いていることからキリスト紀元の初めにはすでに
ブドウ栽培がはじめられていたことがわかる。しかしローマ皇帝ドミティアヌスが
小麦栽培を重視したあまりガリアの全域にわたって葡萄が引き抜かれ1世紀から3世紀ころま
でガリアからブドウ畑が消えてしまった。その後ローマ皇帝プロブスは280年ごろガリア人の
ブドウ栽培を公認し彼の軍隊をブドウ畑の復興にあたらせた。
シャンパーニュムスー天然発泡性ワインの起源についてペリニョン氏こそ真の創始者で
あるという説がある。
彼はマルヌ渓谷の重要な葡萄生産村である
オーヴィレールのヴェネディクト派修道院の衣食住係りを
47年間勤めワインつくりの熟練者であった
瓶詰ワインの再発酵のような形で自然発生したものを
ペリニョン師が技術的に改善しシャンパーニュの基礎を確立したのであろう