タリスカー TALISKER

ハードボイルドが似合う男の酒!

深い感銘、深い悲しみ、深い感動など、心が大きく揺れた夜、

それを人に見せることなく、一人静かに酒を含む。。

そんなハードボイルドタッチなひと時に、味わいたいのが、このモルト・ウイスキーだ。

一口飲むと、まるで火が付いたように熱いものが口いっぱいに広がる。

その味は胡椒の味とも塩の味ともいわれ、ブレンダー達はこれを「舌の上で爆発するような」

と表現するそうだ。しかし喉に流し込むと、ほのかな甘みがあり、モルトの香りも程よく漂う。

ストレートで飲むのが一番だが、マイルドタイプのブレンデッド・ウイスキーに、

タリスカーを数滴たらして、パワーアップさせるのも、この酒の楽しみ方の一つだ。

このハードでパワフルな風味の個性派モルト・ウイスキーは、

ヘブリディーズ諸島最大のスカイ島で生まれる。スカイと言っても「空」のSKYではなく、

SKYEと綴る。「鳥の翼の形をした島」という意味だと言う。

朝霧が立ち上ることが多いので、ミスティ・アイランドとも呼ばれる。

この島の唯一の蒸留所が、タリスカーなのである。

グレンモーレンジ GLENMORANGIE

フルーツの香りが女性を誘う!

ウイスキーというと、どちらかといえば男の酒のイメージが強い。

けれどウイスキー初心者の女性にもお勧めできるのが、このグレンモーレンジだ。

淡い金色のボトルの色合いからして華やかだが、飲んでみると更に華やかさが増す。

花の香りの様な甘くかぐわしい香りがあり、繊細な味が、舌の上でさわやかに躍る。

だからといって、男性に物足りないなんて事はない。

何しろグレンモーレンジは、スコットランド国内で最も愛されているモルト・ウイスキーの一つ。

出荷しているのは全てシングル・モルト。ブレンデット用には、一切供給していないのだ。

ハイランド・モルトの、代表中の代表と言えるだろう。

フローラルでフルーティーな香りの元は、バーボン樽にある。

ここでは、熟成樽にバーボンの空樽を使用しているのだ。

アメリカ・ケンタッキー州のオークを原木ごと買い上げ、

それを一度バーボンの熟成に使用してから、モルト・ウイスキーの熟成に使っている。

そのこだわりが、世界に愛されるモルト・ウイスキーの原動力になっているのだ。

ブッカーズ BOOKER’S

洒落たラベルに自信の手書き文字が並ぶ

とろりとした褐色に近い琥珀色の液体を一口含むと、まろやかな香りが口の中に広がる。

63度という高濃度のアルコールなのに、強烈な刺激があるのかというと、そんなことはなく、

まろやかでバランスのとれた風味がいつまでも残る。

丁寧に書かれた手書き文字のラベルにも表れているように、

ブッカーズはそれぞれの樽から直接瓶詰めした最高級の品。

バーボン業界第1位を誇るジム・ビーム社が、特別に作り上げたプレミアム・ブランドなのだ。

製作者は、ジム・ビーム社の直系で、

バーボン中興の祖と言われるジェイコム・ビームの孫にあたる、ブッカー・ノオ。

バーボン造りの達人と言われたブッカーが、6~8年熟成させた秘蔵中の秘蔵の樽から、

熟成のピークを迎えたものだけを自らが選び出して、このバーボンを世に出したのだ。

アルコール度が高く、沢山は飲めないかもしれないが、

食後にゆったりと、価値ある逸品を味わってみたい。

アベラワー ABERLOUR

いい酒はストレートがうまい!

アベラワーは、国際ワイン&スピリッツ大会で何度も金賞を受賞しており、

スペイサイド・モルトの逸品として、つとに名高い。

グラスを口元に近づけると、芳醇なラム酒のような快いエッセンスがたちのぼってくる。

ほのかに甘い、やさしい口あたりは、夜の和みの時間にぴったりだ。

水で割ってもいいが、アベラワーの芳醇さ、スムースな飲み口を味わうには、

ストレートで楽しむのがベスト。この名品をつくっているのは、スペイサイドの中心部、

ラワー川に沿って建つヴィクトリア調の美しい建物、アベラワー・グレンリヴェット蒸留所だ。

創業は1826年だが、正式なラベルなどには、火災後に再建された1879年が記載されている。

創業年が、ふたつあるわけだ。1974年、フランスの会社に買収されて、

近代的な施設が加えられた。この蒸留所では、スコットランド産の大麦だけを使用し、

通常は木製である樽の栓をコルクにしている。この方が不純物が蒸発しやすいためだという。

丹誠込めて作られているだけに、深い味わいに仕上がっている。

カベルネ・ソーヴィニヨン

フランス・ボルドー地方の代表的な赤ワイン用品種で、

タンニンが多めの為、重厚な味わいのワインが造られ、

熟成すると共にエレガントさが増します。酸や香りの成分も豊かで、

カシス、チョコレート、スギ、ピーマンなどのアロマがします。

環境への順応がとても良く、世界各国で栽培されています。

ロゼや赤のスパークリングで使用されます。

スプリングバンク

部屋いっぱいに甘い香りが満ちる!スプリングバンクの香りは、甘くかぐわしい。

栓を抜いてグラスに注ぐと、その甘い香りが部屋いっぱいに満ちていく。

そして舌にのせると、とろりとしてシルクのように滑らかに広がっていく。

ロマンチックなムードがあふれ、女性にもぴったりだ。

蒸留所はスコットランドの西側に突出たキンタイア半島の先端の町キャンベルタウンにある。

かつては30ほどの蒸留所が犇いた地だが、閉鎖が相次ぎ、現在ではたった二つ残るだけ。

衰退の原因は何と20世紀初頭の、アメリカの禁酒法にあったという。

禁止されれば飲みたくなるのが人の常。キャンベルタウンは場所柄、

アメリカに輸出しやすい為、目先の儲けだけを求めて、粗悪な品を大量に送りこんだ。

その結果、キャンベルタウン・モルトの評判がガタ落ちになり、

どんどん閉鎖に追い込まれたというのだ。その中でスプリングバンクが生き残ってきたのは、

苦しい経営のなかでも、こだわりを決して捨てなかったからだ。

いまだに麦芽づくりから瓶詰めまで、一貫して行なっているのがその証拠だろう。

ロイヤル・ロッホナガー

ヴィクトリア女王が愛した味わい

このモルト・ウイスキーは爽快感のある香りが漂う、スパイシーでコクのあるタイプ。

食後のひとときにぜひ味わいたい。

ロッホナガーとは、ディー川沿いにある山の名前で、ゲール語で”岩の露出した湖”の意味。

湖の名前が、そのまま山の名前にも使われているのだ。

詩人バイロンが幼少時に暮らしたというこの地に、蒸留所が設立されたのが1845年。

その3年後のことである。

蒸留所の隣にあったバルモラル城を、当時のヴィクトリア女王が夏の離宮として購入した。

蒸留所の創設者ジョン・ベグがこの隣人に「見学に来ませんか」と手紙を書いたところ、

ロイヤル・ファミリーが本当に見学に訪れた。

しかもその後「王室御用達」を許可する書状が送られてきたのだ。

以来、ロッホナガーの頭にロイヤルが付いたのである。女王夫妻は、このモルトを愛飲して、

時に極上ボルドーワインにロッホナガーを数滴たらして飲んでいたとか。

いったいどのような味になるのか、興味のある方はお試しあれ。

ジャック・ダニエル

バーボンでありながら、バーボンではない!

グラスに注ぐと、フルーツと木の樽の香りが織り混ざった優しい香りが漂う。

舌に乗せると、ほのかな甘みと心地よいアルコールの刺激が絡まりあう。

洗練された貴公子のような味わいといえるだろうか。

白黒のシンプルなラベルを見ると、「テネシー・ウイスキー」と書いてある。

バーボンではないのかと疑問に思われる向きもあるかもしれない。

法律的には、ジャック・ダニエルはバーボンに入るのだが、

一般にはテネシー・ウイスキーと呼ばれるのだ。

バーボンの8割はケンタッキー州生まれだが、ジャック・ダニエルはテネシー州生まれ。

テネシー・ウイスキーの特色は、樽で熟成する前に、

蒸留したばかりの原酒をサトウカエデの木炭を使って濾過すること。

これにより、芳香があるのに軽快な味わいに仕上がる。

テネシー・ウイスキーの代表であるジャック・ダニエル生みの親は、

7歳から蒸留所で働き、16歳で自分の蒸留所を建設した伝説的な人物。

彼が作り出したウイスキーは、1904年の世界博覧会で金賞を受賞し、

一気に世界の銘酒の仲間入りを果たした。

グレンフィディック

シングル・モルトの先駆けは売り上げ世界一!

グレンフィディックは、もっとも著名な銘柄の一つだ。比較的飲み口が軽く、

万人に親しまれ、シングル・モルトの売り上げ世界ナンバーワンを誇っている。

ウイスキーをよく知らない人でも、三角形のユニークなボトルを見たことがある人は

多いはずだ。この三角ボトルは、当初業界で笑い者になったというが、

もっと笑い者にされたのが、1960年に、それまでブレンデッド用に出荷していた

モルト・ウイスキーを、業界に先駆けて、シングル・モルトとして販売を始めたことだ。

当時はほとんどがブレンデッド・ウイスキーだったから、個性が強いシングル・モルトが

一般に受け入れられるわけがないと、鼻で笑われてしまったのだ。

ところが業界の冷たい視線をよそに、グレンフィディックは売れに売れた。

シングル・モルトが注目を浴びたのは、それからである。

いまやシングル・モルトの代名詞にもなっているグレンフィディック、

まだ飲んだことが無ければ、一度は飲んでみてほしい!

オールド・パー

オールド・パーのボトルを前にグラスを傾け、比較的ピート香が強く、

コクのある深い味わいを楽しんでいると、何となく懐かしいムードに浸ってくる。

ボトルの渋い色のせいもあるが、かつて日本ではオールド・パーが

洋酒の代名詞のような時代があったからかもしれない。

実際、日本に初めて入ったウイスキーが、オールド・パーだったと言われる。

1871年(明治4年)に出発した岩倉具視を特命全権大使とする欧米視察団が、

2年後に帰国した時に、オールド・パーを数ケース持ち帰ったという。

年代からいって、まだオールド・パーが誕生したばかりのころだ。

そうした縁ががあるのか、オールド・パーの総売り上げの約65パーセントは、

日本と東南アジアの国々で占めている。

オールド・パーとは、152歳まで生きたと言われる農夫トーマス・パーのこと。

彼にあやかってオールド・パーを生み出したジェームスとサミュエル兄弟の会社、

グリーンリース社の趣意書には、10人の王の時代を生き抜いたトーマスのように、

「時代がどんなに変わろうとも変わらぬ品質を約束する」と書かれている。