コニャック

量、質ともに世界第一を誇るフランスのオー・ド・ヴィ(ブランデー)の

産地パリの南西465KMにあるコニャックの街を中心にAOCの指定する

生産地域はシャラントマリティム県のほぼ全域とシャラント県の西半分に

またがり一部はドゥーセーブル県とドルドーニュ県に及んでいる

4世紀の詩人オーゾンヌが友人ポーリュスに宛てた手紙にシャラント川に

沿った丘陵地帯ノブヌスが葡萄で覆われている様子が述べられている

13世紀のラロッシュル港から無関税でワインが船積みされるようになり

14世紀にはイギリス、オランダ、デンマークなどに輸出され始めた

ジェアンドローダンによると1623年パリでは大量のワインが飲まれていたが

中でもラロッシュル物は好評であったという。

しかしワインの生産が需要を上回り投げ売りが行われるように

なった。1630年頃にコニャック地方でワインの蒸留が普及し始め

薬用であったオー・ド・ヴィが嗜好飲料として認められるように

なったのは17世紀末のことである。18世紀に入るとオー・ド・ヴィコニャック

として区別されるようになり銘酒コニャックの名前が生まれたのは18世紀始めと

推定される。

 

ソル

英語でソイル。土壌、土質を意味する名詞で、語源は

ラテン語のソルーム。気候や葡萄の品種栽培法などとともに

ワインの品質、タイプを左右する重要な因子の一つ

欧州系の葡萄であるヴィティスヴィニフェラは水分や塩気の少ない土壌であれば

だいたい栽培できるが上質なワインを作るためにはそれなりに次のような

物理的・科学的な面で適した土地を選ばなければならない

物理的な性質ボルドーのシャトーディケムやシャトー・ラフィット・ロートシルト

の畑の土壌は小石を50から70%も含みブルゴーニュの銘醸畑のそれも

30%~50%の岩石の破片からなるというように上級ワインを産出する葡萄畑の

土壌は一般に、砂利、小石、岩石、の破片などを多く含んでいる

これらは土壌の通気性や水はけをよくし気温が高い日中に熱を蓄えて夜間の

気温低下を防ぐ効果を果たすと言われている

科学的性質一般的に言って粘土質土壌からは色が濃く

タンニンが多く、ボディのあるワインが生まれ

石灰質土壌からはボディはないが香り高いワインが出来ると言われている

土壌中の珪酸の影響は砂地か、砂利混じりかといった物理的性質に影響し

前者からは香り高く繊細なワインが生まれる

ブテイユ

ボトル、瓶。ワインのボトルの容量や外観は産地ごとに一応

統一されている。フランスにおける瓶の規格統一は1930年に行われた。

すなわちボルドーワインは750mlブルゴーニュ・ワイン、シャンパーニュ

は800mlと決められその他のワイン、りんご酒、梨酒、発泡性りんご酒

については次の8種に限って販売が認められている。ドゥーブルリットル2L

リットル1L、ドゥミリトル500ml、サンガルミエ、900ml、アンジュー750ml

ドゥミアンジュー375ml、フィエートダンジュートゥーレーヌ350ml、ヴァンドラン720ml

おそらくロワール地方のアンジューやライン地方のワインにはそれぞれ750ml

720mlの瓶が伝統的に使われており又アンジュートゥーレーヌの人々の

間では750mlのアンジュー瓶の半瓶がフィレットが350mlとして流通していた実績が

国に認められたのだろう。しかしこのような法律があるにもかかわらず、かつてイギリス国王の

支配下にあったボルドーでは公認の750mlのブテイユの他に次のような各種の瓶の使用が

習慣として認められているのはいかにもフランスらしいところでもある。

ドゥミブテイユ375ml、マグナム、1.5L、ドゥーブルマグナム3L、ジェロボアム4L

アンペリアム6L。

ブルゴーニュの瓶は800mlと公認されていてラベル又は瓶に容量を明示すれば

750ml瓶に詰めることもできる。

モンラッシェ

ブルゴーニュ伯の大法官ニコラロランが1443年に建てた救貧施療院オスピスで有名なボーヌの南西8-10kmにピュリニーモンラッシェ村とシャサーニュモンラッシェ村がある。

いずれもAOCの自治体名称をもつ村で、前者は88%白、後者は約70%赤ワインを生産している。

ベルタルは彼のフランスワイン遍歴記のなかで、ボルドーの白のシャトー・ディケムに匹敵するものがブルゴーニュの白のモンラッシェで、この両者こそ世界第一級の白ワインであると賞賛している。

モンラッシェはクリュオールリーニュ、すなわち他に並ぶものなきワイン産地としてランクされ、750ha余りの畑で最大収穫量3kl/ha以下におさえられたシャルドネ種の葡萄からつくられた最低アルコール濃度12%の白ワインはきわめて繊細で、軽く、しかもボディがあり、香りも楽しめる名酒。

第一級ものにシュヴァリエ・モンラッシェがあり、第二級ものにビアンヴニュバタール・モンラッシェがある。シャサーニュモンラッシェの白および赤は、二〜三級にランクされている。

ハイランドパーク

スコットランドの周囲に点々と浮かぶ島々で作られているのが、アイルランズモルト。

かつてバイキングが支配していたという島で生まれるハイランドパークは、厳しい自然に磨き抜かれた風味をもつ。

ウイスキー評論家マイケル・ジャクソンは、全モルトウイスキー中、もっともオールラウンダーで秀逸な食前酒と絶賛する。

というのも、古典的なモルト・ウイスキーのもつあらゆる要素が、ハイランドパークに詰まっているからだ。

たとえば、麦芽の風味、ヘザーの香り、スモークの香り、まろやかさ、豊かなフレーバー。

これが凝縮した、じつにマルチな味なのだ。

麦芽をコンクリートの床に広げて発芽を促す工程を、フロアモルティングという。

その時に使う蒸留所独自のピートが、ハイランドパーク独特の個性を作り上げていると言われている。

ハイランドパーク蒸留所は、70あまりの島々からなるオークニー諸島の中心、メインランド島にある。

北緯59度という位置は、蒸留所としては世界最北になる。

ハイランドパーク12年

このブランドのスタンダード品。食前酒として人気がある。

オーヘントッシャン

3回蒸留がやわらかく、軽い舌ざわり オーヘントッシャン

スコットランド南部のローランドは、気候が温暖なこともあるのか、ライトタイプのモルトウイスキーが多い。

ローランドの代表モルトであるオーヘントッシャンも、万人に好まれるような、柔らかい味わいが特徴

ワイン感覚で食前や食中に飲んでも、料理とウイスキー両方の味を同時に楽しめる。

ローランド・モルトの伝統は、3回蒸留すること。

当然のことながら、蒸留すればするだけ余分なものが少なくなり、純粋アルコールに近くなる。

このモルト・ウイスキーが軽いタッチなのは、蒸留の繰り返しにより、アルコール以外の成分がすくなくなっているためと言われる。

ローランドの伝統とはいえ、現在も3回の蒸留を行なっているのは、ここだけだ。

つまりスコッチで3回蒸留しているのはオーヘントッシャンのみということになる。

それだけに、ローランドの伝統をいまに味わえる、貴重なモルトである。

なお創業者は、アイルランド人との説はあるが未だに不明である。

オーヘントッシャンの10年ものたまにはいかがですか?

カルヴァドス

フランス北西部のノルマンディ地方カルヴァドス県を中心とし

それに隣接するマンシュ県、オルヌ県、ウール県にわたる地域で

収穫されたりんごを原料として造った蒸留酒をいう。

カルヴァドスの原産地統制名称には次の2つがある

カルヴァドス県のペイドージュ地区産のもので

コニャックと同じシャラント型アランビックという単式蒸留機で

2回蒸留し白樫の樽で熟成させて造ったものをいう。

なお2回蒸留とはまずりんご果汁の発酵液をアランビックで蒸留し

アルコール濃度27-28%の粗留液をとり

これを再度蒸留してアルコール濃度76%~78%の原酒をうる

蒸留法である。ペイドージュ地区以外の前記の地区内でシャラント型

アランビックによる2回蒸留またはアルマニャック型連続蒸留機に

よる1回蒸留によって作られたものをカルヴァドスと呼ぶ

カルヴァドスにはアルコール濃度40-45%高級品には

50%以上のものもある。

ドイツ生まれの作家レマルクによって日本でその名前が知られるように

なった。製品のラベルに見られる★★★又は梨印3つの表示は熟成2年を超えたもの

同様にヴュー、レゼルブは3年を超えたものVOは4年を超えたもの

VSOPは5年を超えたもの表示。

またAOCのカルヴァドスは熟成1年未満は出荷しないようにしている

シェリー

スペインのアンダルシア地方の南西部、カディス県のほぼ中央に位置する都市ヘレス・デ・ラ・フロンテラ周辺地区特産のアルコール強化ワイン。

紀元前6世紀、フェニキア人がカディスの街を建設したという歴史を持つヘレス平野のぶどう栽培は、古代キリシア人によって始められたと言われ、そのワインはスリとかセレなどと呼ばれていた。

8世紀から15世紀までこの地を支配したアラビア人は、このワインをシラーズと名付け、これがスペイン語に訛ってヘレスとなりフランス語でケレス英語でシェリーと呼ばれるようになった。

シェリー酒の生産が企業家され始めたのは17世紀の半ばのことで、18世紀後半より次第に海外での需要も高まってきた。

スイス人のペドロドメック、フランス人のオーリー、アイルランド人のパトリックガルベイや地元のカディスの商人ゴンザレスアンヘルといった人々が、18世紀から19世紀にかけて活躍し、シェリー酒産業の基盤がつくられた。

彼らの名前のあるものはシェリー酒の銘柄となって今も残されているが、製品のラベルにヘレスケレスシェリーと3カ国語で表示してあるのも、このような歴史の国際性を示すものであろう。

シェリー酒はカディス県のヘレス・デ・ラ・フロンテラ プエルトデサンタ・マリアおよびサンルカルデバラメーダの3地区で栽培されたパロミノ種を主要原料葡萄とし、これにペドロ・ヒメネス、モスカテルの2品種を副原料としてつくられる。

本来の製法は葡萄を仕込む前に1−2日、天日にさらして糖分を濃縮し、あるいは圧縮しないフリーランだけを使い、糖分を高めるためにその1部を濃縮し、これをあわせて発酵させる。シェリー酒の特徴となる風味はアルコール発酵後、シェリー酵母がワインの表面に膜を張って二次発酵することにより生まれる。

すなわち、発酵によって糖分がなくなったアルコール濃度15%ぐらいのワインを、樽に4分の3程度の分量までいれておくと、やがて酒の表面に花と呼ばれる皮膜ができる。

皮膜の酵母の酸化発酵によってアルコールの一部はアルデヒトに酸化されて特有な香りを、色調も濃い琥珀色がだんだんと褐色し、味も変化する。

これをソレラという独特の方法で熟成させる。

すなわち、上の樽の底から皮膜をくずさないようにワインを3分の1ほど抜き、下の樽へ順繰りに混ぜていき、最上段の樽へは常に新しい酒を補充してやるというやり方である。

19世紀前半にヘレス・デ・ラ・フロンテラへ進出したイギリスの商人は、やがて輸出先のイギリスやドイツからアルコールを持ってきて、若いシェリー酒に混ぜ、着色した粗悪品を輸出するようになって、シェリーの品位を汚したこともあった。

ワインの原産地名称権を保護するために1891年に締結されたマドリード協定以後のシェリー酒は、シェリー酵母による二次発酵終了後にブランデーを加えてアルコール濃度を15−20%に補強し、濃縮葡萄果汁で甘味を調整し、これを樽で更に熟成させたもので、オロロソ、アモンティラード、フィノなどのタイプがあり、それぞれ製品のラベルに表示されている。

なお食前酒としてはアルコール濃度の高いオロロソが適している。

アモンティラードは冷やして供されるが、シェリーの香りを楽しむためには、冷やし過ぎないほうが良い。

クリームなどと表示されている甘口のシェリーは、室内ないしは少し冷やして飲んだほうがよい。

エスト・エスト・エスト

ローマを州都とするラッィオ県ヴィテルボ郡の

モンテフィアスコーネ産白ワイン

ESTはラテン語で物の存在を示すという意味。この奇妙な名称については

いろいろな言い伝えがあり、そのうちもっとも信憑性が高いのが

南ドイツのある僧正が法王に拝謁するためにローマへ旅に出た

彼は美味しいワインのある宿を見つけるために従者の一人を

先に行かし行く先々の宿のワインをきき酒させもしおいしいワインが

あったときにはその宿の扉にESTという目印をつけるように命じた

従者はローマの北北東の町モンテフィアスコーネにやってきて

そこのワインがあまりにもすばらしく感激してEST印ひとつでは

もの足りずEST!EST!EST!と3つ書いてしまったのが

酒名の始まりという。ボルセーナ湖周辺の火山灰土壌で

栽培されたトレッビアーノトスカーノとマルヴァージアビアンカトスカーナという

品種の葡萄から作られた明るい麦藁色の白ワインで、辛口と中甘口の2タイプが

ある。最低アルコール濃度は11%、総酸度5-7%、収穫年度の表示はその年に

収穫された葡萄が100%に限る。

 

ナポレオン

①ブランデーの熟年年数を示す符号として、ラベルにうたわれているナポレオン1世の名。なぜ彼の名だけがとくにブランデーに使われているのか、その理由についてはいろいろ言い伝えがある。クールヴォアジェの本社は、現在シャラント川の右岸の町ジャルナックにある。

1790年に会社を設立したエマニュエル・クールヴォアジェは友人であったナポレオンに、自社のオー・ド・ヴィを献上していた。そこでナポレオンのシルエットを製品に貼付し、その名をうたうようになったという。

②ナポレオンが1805年、アウステルリッツでオーストリアとロシアの連合軍を撃破した戦勝の宴に、近衛の狙撃手といて従軍していたクロワゼは、ナポレオンを讃え、水筒に入れた自家製のオー・ド・ヴィにその名をうたって戦友たちに振舞った。

それを味わってみたナポレオンが余の名に恥じぬ素晴らしいオー・ド・ヴィだといったという。

これを誇りにしてクロワゼは、その年からコニャックで本格的なオー・ド・ヴィの製造を始め、ナポレオンの名を銘酒にうたうことにしたという。

③1811年、ナポレオンに待望の男子が誕生した。

この年はまた葡萄も豊作で、これを記念してこの年に蒸留したコニャックを、ナポレオンと呼ぶことにしたという説もある。

1726年にはコニャックの名は、オー・ド・ヴィの中でも評判となっており、アングーモア州の州都アングレームの初審裁判所刑事代官ジェルヴェが1730年にオー・ド・ヴィを飲むなんて聞いていなかったのでそれが当たり前になっていることに驚いているほど、18世紀はオー・ド・ヴィが普及し、コニャックが伸びた時代であった。それと時期的にナポレオンの時代と重なって、いろいろな伝説が生まれたのであろう。

法律的には、熟年年数が5年をこえたアルマニャック

6年をこえたコニャック及びカルヴァドスならナポレオンと表示でき、またコニャック、アルマニャックなどAOCで規制されている地域外のいわゆるフレンチブランデーについては別に表示規制もないので、これらのなかには熟年年数5年以下の若いナポレオンも見られる。