ジョニー・ウォーカー

今も世界を闊歩するトップブランド JOHNNIE WALKER

心地よいスモーキーな香りがフワリと口中に広がり、口あたりなめらか、

何杯でも飲めてしまいそうなライトタイプ。そんなジョニー・ウォーカーは、

「ジョニ赤」「ジョニ黒」の通称で、あまりにも名高い。

有名なだけでなく、実際に長い間、世界売り上げナンバーワンを維持、

いまも世界のウイスキー業界をリードし続けている。

現在の「ジョニ赤」「ジョニ黒」が誕生するのには、

創業者のジョン・ウォーカーにはじまり、じつに3代かかっている。

初代が考案したウイスキー「ウォーカーズ・オールド・ハイランド・ウイスキー」を、

当時珍しい四角いボトル、斜めのラベルという画期的なアイディアで世に広めたのが2代目。

そして3代目が、「ジョニー・ウォーカー赤ラベル」を進化させて、

「ジョニー・ウォーカー黒ラベル」と命名した。

このとき、シルクハット姿の英国紳士というトレードマークも登場。

当代随一の漫画家トム・ブラウンの手によるもので、

創業者のジョン・ウォーカーがモデルと思いきや、ブラウンのまったくの創作だそうだ。

ムルソー Meursault

ブルゴーニュ地方のコート・ド・ボーヌ地区 Cote de Beaune 最大の村の名。

生産されるワインはほとんどが白で、A.O.C.ワインとしての最低アルコール濃度は11%

(プルミエ・クリュは11.5%)、最大収穫量は1haあたり3.5kl。辛口(セック)でありながら

口あたりが柔らか(moelleux)であるという珍しいワインで、緑がかった黄金色が美しい。

よく熟した葡萄のアロマとカバノキ科のハシバミの実の風味が特徴で、

フランスでも有名な白ワインの一つに数えられる。

シャルドネ Chardonnay

白ワイン用の葡萄の品種名。

ブルゴーニュのボーヌ、コート・ドール、シャブリ、ロレーヌ地方、シャンパーニュ地方、

フランシュ・コンテ地方、さらにロワール川流域のワイン産地で、

下記にあげたような種々の名で呼ばれているほどフランス中部から東北部にかけて

広く栽培されている品種である。病害に強く、葉の葉柄につながる部分が広くひろがり、

葉脈でふちどられているのが特徴。果粒は小粒で丸く、黄金色を呈する。

これでつくったワインは薄い緑黄色から黄金色まであり、芳香に富み

シャブリやシャンパーニュには欠かせない品種である。

シャルドネの地方名:

ノワリアン・ブラン(ボーヌ地方)、ピノ・ブラン(コート・ドール県)、

ボーノワ(シャブリ地方)、オーセロワ・ブラン(シャンパーニュ地方)、

ガメー・ブランまたはムロン(フランシュ・コンテ地方)、オーヴェルナ・ブラン(ローヌ川流域)。

クラレット claret

英語圏の人々が使うボルドー産赤ワインの愛称。

アキテーヌの公女アリエノールが、1137年に結婚したフランス王ルイ7世と1152年に離婚し、

同年イギリス国王ヘンリー2世と再婚した結果、彼女が相続していたアキテーヌ公領とともに

ボルドーはイギリスの支配下におかれた。ヘンリー2世はボルドーの淡色赤ワイン、

ボルドー・クレーレを愛用したと伝えられるほど、クレーレはイギリス人に好まれ、

イギリスなまりでクラレットと呼ばれてボルドー・ワインの代名詞となった。

ピノ・ノワール Pinot noir

ブルゴーニュ(Bourgogne)地方の代表的赤ワイン用ブドウ品種。

単に Pinot ともいい、またノワリヤン Noirien、あるいはピノ・フラン Pinot franc とも呼ぶ。

この品種は地方によって呼び名が異なり、

ボージョレ(Beaujolais)地方ではプティ・ブルギニヨン、

アルザス地方ではビュルギュンデール、パリ盆地の東南にあたるヨンヌ県ではプティ・ヴェロ、

フランス中央部ではオーヴェルナ・ノワールあるいはプラン・ノーブルなどと呼んでおり、

それほど広い地域で栽培されている品種である。

濃緑色で、やや厚みがある葉は切れ込みが浅く、葉柄の接続部が竪琴状に切れ込んでいる。

円筒型をした葡萄の房は小型で、丸く、小さな黒色の果粒がびっしりとついているのが特徴。

これでつくったワインは高級アルコール様の独特な香りと酸味があり、

タンニンはカベルネほど多くはないにしても、時間をかけて熟成させる必要があり、

ブルゴーニュ地方に、ボルドー地方にみられるような酒商を育てた原因の一つとも

考えられる。ピノ・ノワールには、その外観、生産性、果粒の色調、

出来たワインの酒質などの異なる変種が数多く知られている。

サン・ジュリアン Saint-Julien

ボルドーの北西44km、ジロンド川の左岸にのぞむオー・メドック郡の村の名。

ここに昔ボルドーを州都とした旧ギュイエンヌ州の知事エペルノンのシャトーがあり、

ジロンド川を航行する船が挨拶のため帆を下げたのでベイシュヴェルBeychevelle

(baisse-voile)のサン・ジュリアンSaint-Julien-de-Beychevelleとも呼ばれている。

自治体名称サン・ジュリアンの赤は、主にカベルネ・ソーヴィニヨン種でつくられ、

やや紫色を帯びた濃紅色の調和のよいワインで、量が少ないため、やや値が高い。

ここには一級シャトーはなく、

シャトー・デュクリュ・ボーカイユ、シャトー・グリュオ・ラローズ、シャトー・レオヴィル・バルトン、

シャトー・レオヴィル・ラス・カーズ、シャトー・レオヴィル・ポワフレが二級、

他に三級畑が2、四級畑が5ある。

デカンテ decanter

デカント dedant。

ワインを飲む前に貯蔵中に出た澱と分けるため、上澄みをカラフ(carafe)に移すこと。

この仕事は、ワインを供する数時間前に行う。

そのため瓶は架台かパニエにあらかじめねかせて澱を瓶底の片隅に沈めておき、

これを舞い上がらせないように注意しながら、コルクを抜いて、カラフにワインを移す。

はじめの澱が瓶の口もとに近くに上がってきたところでやめる。

ドン・ペリニョン

1638~1715。天然発泡性ワイン、シャンパーニュの創始者と伝えられる人。

ランスの東北東65kmにあるサント・ムヌー(マルヌ県)の出身。

1661年頃、マルヌ渓谷の重要な葡萄生産村である

オーヴィレールのベネディクト派修道院に入り、

1668年から45年間修道院のセレニエ(衣食住係)を務めた。

彼はその間に炭酸ガスをワインに含ませる秘法を考案し、

それがペリニョンのワイン(vin de Perignon)という名でもてはやされ、

約400Lが、当時の金で1,000リーヴルで売れて、修道院の財政に貢献した。

彼の秘法を受け継いだ修道士フィリップも、

セレリエの職を50年間務めあげて1765年に亡くなり、

その後アンドレ・ルモアンがあとを継ぎ、

フランス革命以後秘法を修道院長であるグロランに委ねた。

しかし、グロランはこれを人にもらすことなく、

現在のオーブ県にあるモンティエ・アン・デールの主任司祭で他界したため、

以後ペリニョンの秘法を知る人はいないという。

J&B

口当たりよく爽快なピート香が心地良いこのウイスキーの持ち味は、

スペイサイド・モルトを中心にブレンドされていることから生まれている。

創業者はイタリア人です。

自社ブランドを作ったのは1890年代だがJ&Bレアが登場したのは20世紀に入ってからである。

アメリカに向けてのマーケティング戦略が功を奏し当時から現在までアメリカで人気を誇っている。

使われている主なモルト

ノッカンドン シングルトン グレンスペイ ストラスミル

今夜の一杯はJ&Bで決まり

ドメーヌ

領地、所有地、所有権。1789年7月バスチーユ監獄開放に続いて

8月4日に開かれた憲法会議で貴族の代表は彼らの領主権の廃止に

同意した。しかし貴族が無償で小作農地を与えたわけでなく

農民は貴族から所有権を購入しなければならなかった

その結果ブルゴーニュ地方のブドウ畑の所有権の大部分は

農民たちや法人によって共同購入された

しかしわずかではあるがぶどう園を個人で所有し栽培から醸造

瓶詰めまでの作業を一貫している醸造元もありそのワインの

ラベルにはミザンブテイユオドメーヌ、ミゾードメーヌと書かれている

ボルドー地方やプロヴァンス地方ではドメーヌはシャトーと同じ

意味に用いられているフランスでは1930年の法律でclos、シャトーとともに

ドメーヌもこれをラベルにうたうことが禁止されたが1942年、48年の法改正

で原産地名称権をもつワインでその名に値する実在の農業経営者の生産する

物に限りdomaineと表記することができるようになった。