ボルドー

フランス南西部ジロンド県の県都、ローマ時代アキタニア属州の首都としてひらけ

4世紀頃その周辺で葡萄が栽培され、ワインが作られていた

作家サルヴィアンは葡萄が育ち果物がいっぱいのアキテーヌとたたえている。

今もサン・テミリオンのシャトーにその名をとどめている。

4世紀の詩人オーゾーヌは友人に青春を蘇らしてくれるワインを求めて

と書き送っている。それが恋人のようなワインであったのだろうか

フランス人はボルドーのワインをエル(彼女)と表現しブルゴーニュのリュイ(彼)に

対比させている。アキテーヌの公女がヘンリー2世と結婚し1154年から1453年までイギリスの支配下にあったボルドーは王の保護のもと

ワインの輸出を中心に発展していった。酒商のことを英語でシッパーというのも

その頃の名残りだろう。当時フランス国外でもてはやされジロンドのなを高めたのがクラレットでそれはよく熟した赤ワイン用のぶどうをごく短時間発酵させて搾ったものであった。

現在のボルドークレーレはこれを再現したものでジロンド川の右岸で作られている。

このすぐ飲める軽い淡色の赤ワイン(rose)は若者の間に人気がある。

ボルドーの原産地統制名称ワインは、地方名、地区名、自治体名のいづれか1つを

ラベルにうたっている。

 

ソル

英語でソイル。土壌、土質を意味する名詞で、語源は

ラテン語のソルーム。気候や葡萄の品種栽培法などとともに

ワインの品質、タイプを左右する重要な因子の一つ

欧州系の葡萄であるヴィティスヴィニフェラは水分や塩気の少ない土壌であれば

だいたい栽培できるが上質なワインを作るためにはそれなりに次のような

物理的・科学的な面で適した土地を選ばなければならない

物理的な性質ボルドーのシャトーディケムやシャトー・ラフィット・ロートシルト

の畑の土壌は小石を50から70%も含みブルゴーニュの銘醸畑のそれも

30%~50%の岩石の破片からなるというように上級ワインを産出する葡萄畑の

土壌は一般に、砂利、小石、岩石、の破片などを多く含んでいる

これらは土壌の通気性や水はけをよくし気温が高い日中に熱を蓄えて夜間の

気温低下を防ぐ効果を果たすと言われている

科学的性質一般的に言って粘土質土壌からは色が濃く

タンニンが多く、ボディのあるワインが生まれ

石灰質土壌からはボディはないが香り高いワインが出来ると言われている

土壌中の珪酸の影響は砂地か、砂利混じりかといった物理的性質に影響し

前者からは香り高く繊細なワインが生まれる

ブテイユ

ボトル、瓶。ワインのボトルの容量や外観は産地ごとに一応

統一されている。フランスにおける瓶の規格統一は1930年に行われた。

すなわちボルドーワインは750mlブルゴーニュ・ワイン、シャンパーニュ

は800mlと決められその他のワイン、りんご酒、梨酒、発泡性りんご酒

については次の8種に限って販売が認められている。ドゥーブルリットル2L

リットル1L、ドゥミリトル500ml、サンガルミエ、900ml、アンジュー750ml

ドゥミアンジュー375ml、フィエートダンジュートゥーレーヌ350ml、ヴァンドラン720ml

おそらくロワール地方のアンジューやライン地方のワインにはそれぞれ750ml

720mlの瓶が伝統的に使われており又アンジュートゥーレーヌの人々の

間では750mlのアンジュー瓶の半瓶がフィレットが350mlとして流通していた実績が

国に認められたのだろう。しかしこのような法律があるにもかかわらず、かつてイギリス国王の

支配下にあったボルドーでは公認の750mlのブテイユの他に次のような各種の瓶の使用が

習慣として認められているのはいかにもフランスらしいところでもある。

ドゥミブテイユ375ml、マグナム、1.5L、ドゥーブルマグナム3L、ジェロボアム4L

アンペリアム6L。

ブルゴーニュの瓶は800mlと公認されていてラベル又は瓶に容量を明示すれば

750ml瓶に詰めることもできる。

モンラッシェ

ブルゴーニュ伯の大法官ニコラロランが1443年に建てた救貧施療院オスピスで有名なボーヌの南西8-10kmにピュリニーモンラッシェ村とシャサーニュモンラッシェ村がある。

いずれもAOCの自治体名称をもつ村で、前者は88%白、後者は約70%赤ワインを生産している。

ベルタルは彼のフランスワイン遍歴記のなかで、ボルドーの白のシャトー・ディケムに匹敵するものがブルゴーニュの白のモンラッシェで、この両者こそ世界第一級の白ワインであると賞賛している。

モンラッシェはクリュオールリーニュ、すなわち他に並ぶものなきワイン産地としてランクされ、750ha余りの畑で最大収穫量3kl/ha以下におさえられたシャルドネ種の葡萄からつくられた最低アルコール濃度12%の白ワインはきわめて繊細で、軽く、しかもボディがあり、香りも楽しめる名酒。

第一級ものにシュヴァリエ・モンラッシェがあり、第二級ものにビアンヴニュバタール・モンラッシェがある。シャサーニュモンラッシェの白および赤は、二〜三級にランクされている。

シェリー

スペインのアンダルシア地方の南西部、カディス県のほぼ中央に位置する都市ヘレス・デ・ラ・フロンテラ周辺地区特産のアルコール強化ワイン。

紀元前6世紀、フェニキア人がカディスの街を建設したという歴史を持つヘレス平野のぶどう栽培は、古代キリシア人によって始められたと言われ、そのワインはスリとかセレなどと呼ばれていた。

8世紀から15世紀までこの地を支配したアラビア人は、このワインをシラーズと名付け、これがスペイン語に訛ってヘレスとなりフランス語でケレス英語でシェリーと呼ばれるようになった。

シェリー酒の生産が企業家され始めたのは17世紀の半ばのことで、18世紀後半より次第に海外での需要も高まってきた。

スイス人のペドロドメック、フランス人のオーリー、アイルランド人のパトリックガルベイや地元のカディスの商人ゴンザレスアンヘルといった人々が、18世紀から19世紀にかけて活躍し、シェリー酒産業の基盤がつくられた。

彼らの名前のあるものはシェリー酒の銘柄となって今も残されているが、製品のラベルにヘレスケレスシェリーと3カ国語で表示してあるのも、このような歴史の国際性を示すものであろう。

シェリー酒はカディス県のヘレス・デ・ラ・フロンテラ プエルトデサンタ・マリアおよびサンルカルデバラメーダの3地区で栽培されたパロミノ種を主要原料葡萄とし、これにペドロ・ヒメネス、モスカテルの2品種を副原料としてつくられる。

本来の製法は葡萄を仕込む前に1−2日、天日にさらして糖分を濃縮し、あるいは圧縮しないフリーランだけを使い、糖分を高めるためにその1部を濃縮し、これをあわせて発酵させる。シェリー酒の特徴となる風味はアルコール発酵後、シェリー酵母がワインの表面に膜を張って二次発酵することにより生まれる。

すなわち、発酵によって糖分がなくなったアルコール濃度15%ぐらいのワインを、樽に4分の3程度の分量までいれておくと、やがて酒の表面に花と呼ばれる皮膜ができる。

皮膜の酵母の酸化発酵によってアルコールの一部はアルデヒトに酸化されて特有な香りを、色調も濃い琥珀色がだんだんと褐色し、味も変化する。

これをソレラという独特の方法で熟成させる。

すなわち、上の樽の底から皮膜をくずさないようにワインを3分の1ほど抜き、下の樽へ順繰りに混ぜていき、最上段の樽へは常に新しい酒を補充してやるというやり方である。

19世紀前半にヘレス・デ・ラ・フロンテラへ進出したイギリスの商人は、やがて輸出先のイギリスやドイツからアルコールを持ってきて、若いシェリー酒に混ぜ、着色した粗悪品を輸出するようになって、シェリーの品位を汚したこともあった。

ワインの原産地名称権を保護するために1891年に締結されたマドリード協定以後のシェリー酒は、シェリー酵母による二次発酵終了後にブランデーを加えてアルコール濃度を15−20%に補強し、濃縮葡萄果汁で甘味を調整し、これを樽で更に熟成させたもので、オロロソ、アモンティラード、フィノなどのタイプがあり、それぞれ製品のラベルに表示されている。

なお食前酒としてはアルコール濃度の高いオロロソが適している。

アモンティラードは冷やして供されるが、シェリーの香りを楽しむためには、冷やし過ぎないほうが良い。

クリームなどと表示されている甘口のシェリーは、室内ないしは少し冷やして飲んだほうがよい。

エスト・エスト・エスト

ローマを州都とするラッィオ県ヴィテルボ郡の

モンテフィアスコーネ産白ワイン

ESTはラテン語で物の存在を示すという意味。この奇妙な名称については

いろいろな言い伝えがあり、そのうちもっとも信憑性が高いのが

南ドイツのある僧正が法王に拝謁するためにローマへ旅に出た

彼は美味しいワインのある宿を見つけるために従者の一人を

先に行かし行く先々の宿のワインをきき酒させもしおいしいワインが

あったときにはその宿の扉にESTという目印をつけるように命じた

従者はローマの北北東の町モンテフィアスコーネにやってきて

そこのワインがあまりにもすばらしく感激してEST印ひとつでは

もの足りずEST!EST!EST!と3つ書いてしまったのが

酒名の始まりという。ボルセーナ湖周辺の火山灰土壌で

栽培されたトレッビアーノトスカーノとマルヴァージアビアンカトスカーナという

品種の葡萄から作られた明るい麦藁色の白ワインで、辛口と中甘口の2タイプが

ある。最低アルコール濃度は11%、総酸度5-7%、収穫年度の表示はその年に

収穫された葡萄が100%に限る。

 

ガイヤック

パリの南680キロボルドーへ流れるガロンヌ川の支流

タルン川の右岸の町。昔はガメ-種やシラー種で赤ワイン

を作っていたが次第に生産されなくなり現在ではモーザックブラン

やモーザックローズなどの品種を使ったAOCの白ワイン

が作られている。果実香に富んだ軽い辛口ないし中辛口の白ワイン

やワイン1リットルあたり70gの糖分を含んだガイヤックドゥーもある

シャンパーニュ地方と異なり補糖せずそのかわりぶどう果汁をろ過したり

遠心分離して酵母の数を減らしゆっくり発酵させる。はじめ比重1.10くらいの

果汁を10月よりクリスマスないし2月頃までゆっくり発酵させ比重1.02くらい

になったところでろ過し瓶に詰めて後発酵させる後発酵中1日何度でも

瓶を180度回し澱を口元まで移動させていく。最後にこれを手早く抜いて

打栓するこの製造方法はこの地方で自然発生的に生まれたもので

ガイヤック方式といわれる。これを機械化し瓶に詰めて後発酵したものを

ー3℃に冷却し窒素ガス、ボンベにつないだ冷却ろ過機で新しい瓶に詰め替える

方法もある。

ドイッチャーヴァイン

ルヴァンダルマーニュ、ジャーマンワイン。ドイツのワイン

ドイツでぶどう栽培が始められたのは2世紀初頭の古代ローマ時代からで

ある。ローマ人は南方系の品種を持ってきて赤ワインを作っていた。

しかし北緯50度以南のドイツ西南部のワイン地帯とはいえ、厳しい

冬と日照時間不足は赤ワイン用原料葡萄に適さずアールや

ヴュルテンブルクなどに限られた地域を除き白ワインの生産が

主流を占めている。とくにリースリング種で造った白ワインは有名

ぶどう畑はライン、モーゼル、マイン、ネッカーの諸川の渓谷沿いに広がりそこに

上級ワインのための指定栽培地域であるアール、ヘシッシェ・ベルクシュトラーセ

、ミッテルライン、ナーエ、ラインガウ、ラインヘッセン、ラインファルツ

モーゼルザール・ルーヴァー、フランケン、ヴュルテンベルク、ヴァーデンなどがあり約9万Ha

の畑でぶどう栽培をしている。

単一の畑ごとにできるワインの香味は微妙に異なるものであるが

傾向の似たもの同士が集まって集合畑を作りそれが村落共同体単位地区に

統合され11の指定栽培地域を形成している。ドイツのQBA、QMPのラベルには

ワインの各付け、称号、醸造年度、瓶詰め場所、政府検定番号、栽培地域名、畑名

が明示されている。

アウスレーゼ

もとの意味は選択、精選物。西ドイツの上質ワインには

指定栽培地域の上級ワインとこれに称号がついたものとが

あるがその称号の一つがアウスレーゼである。

完熟した葡萄の房のみを精撰しこれを原料として

造ったワインをいう。

ドイツの上級ワインに使われる原料の糖度は

栽培地ごと品種ごとに最低限度が定められている。

例えばリースリング種の場合QBA用では比重(4℃の水の重さを1とした時の

同温、同容積の果汁の重さ。糖分が多くなるほど1の値より大きくなる)は1.057~

1.060の範囲であるがアウスレーゼではこの値が1.083~1.098と大きく

それだけ発行後に糖分を残した甘口高級デザートワインが出来上がる。

モーゼル・ザール・ルーヴァー

モーゼル川はライン川最大の支流。

全長545km、その源をフランスのヴォージュ山地に発し、パリ盆地東縁部のローレヌ地方を北に流れ、フランスではラモゼルと呼ばれている。

コブレンツの街でライン川と合流するが、ドイツ領モーゼル下流域、およびその2つの支流であるザール川、ルーヴァー川流域のどいつの上級ワイン及び高品質各つけワインの指定栽培地域で生まれたワインをモーゼル・ザール・ルーヴァーという。

川岸南側急斜面の片岩質、小石混じりの土壌に栽培されたリースリング種やエルプリング種から、繊細でフルーティな、酸味のある白ワインが生まれる。

アルコール濃度はやや低く9%程度。