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サン・ジュリアン Saint-Julien

ボルドーの北西44km、ジロンド川の左岸にのぞむオー・メドック郡の村の名。

ここに昔ボルドーを州都とした旧ギュイエンヌ州の知事エペルノンのシャトーがあり、

ジロンド川を航行する船が挨拶のため帆を下げたのでベイシュヴェルBeychevelle

(baisse-voile)のサン・ジュリアンSaint-Julien-de-Beychevelleとも呼ばれている。

自治体名称サン・ジュリアンの赤は、主にカベルネ・ソーヴィニヨン種でつくられ、

やや紫色を帯びた濃紅色の調和のよいワインで、量が少ないため、やや値が高い。

ここには一級シャトーはなく、

シャトー・デュクリュ・ボーカイユ、シャトー・グリュオ・ラローズ、シャトー・レオヴィル・バルトン、

シャトー・レオヴィル・ラス・カーズ、シャトー・レオヴィル・ポワフレが二級、

他に三級畑が2、四級畑が5ある。

デカンテ decanter

デカント dedant。

ワインを飲む前に貯蔵中に出た澱と分けるため、上澄みをカラフ(carafe)に移すこと。

この仕事は、ワインを供する数時間前に行う。

そのため瓶は架台かパニエにあらかじめねかせて澱を瓶底の片隅に沈めておき、

これを舞い上がらせないように注意しながら、コルクを抜いて、カラフにワインを移す。

はじめの澱が瓶の口もとに近くに上がってきたところでやめる。

ドン・ペリニョン

1638~1715。天然発泡性ワイン、シャンパーニュの創始者と伝えられる人。

ランスの東北東65kmにあるサント・ムヌー(マルヌ県)の出身。

1661年頃、マルヌ渓谷の重要な葡萄生産村である

オーヴィレールのベネディクト派修道院に入り、

1668年から45年間修道院のセレニエ(衣食住係)を務めた。

彼はその間に炭酸ガスをワインに含ませる秘法を考案し、

それがペリニョンのワイン(vin de Perignon)という名でもてはやされ、

約400Lが、当時の金で1,000リーヴルで売れて、修道院の財政に貢献した。

彼の秘法を受け継いだ修道士フィリップも、

セレリエの職を50年間務めあげて1765年に亡くなり、

その後アンドレ・ルモアンがあとを継ぎ、

フランス革命以後秘法を修道院長であるグロランに委ねた。

しかし、グロランはこれを人にもらすことなく、

現在のオーブ県にあるモンティエ・アン・デールの主任司祭で他界したため、

以後ペリニョンの秘法を知る人はいないという。

J&B

口当たりよく爽快なピート香が心地良いこのウイスキーの持ち味は、

スペイサイド・モルトを中心にブレンドされていることから生まれている。

創業者はイタリア人です。

自社ブランドを作ったのは1890年代だがJ&Bレアが登場したのは20世紀に入ってからである。

アメリカに向けてのマーケティング戦略が功を奏し当時から現在までアメリカで人気を誇っている。

使われている主なモルト

ノッカンドン シングルトン グレンスペイ ストラスミル

今夜の一杯はJ&Bで決まり

ドメーヌ

領地、所有地、所有権。1789年7月バスチーユ監獄開放に続いて

8月4日に開かれた憲法会議で貴族の代表は彼らの領主権の廃止に

同意した。しかし貴族が無償で小作農地を与えたわけでなく

農民は貴族から所有権を購入しなければならなかった

その結果ブルゴーニュ地方のブドウ畑の所有権の大部分は

農民たちや法人によって共同購入された

しかしわずかではあるがぶどう園を個人で所有し栽培から醸造

瓶詰めまでの作業を一貫している醸造元もありそのワインの

ラベルにはミザンブテイユオドメーヌ、ミゾードメーヌと書かれている

ボルドー地方やプロヴァンス地方ではドメーヌはシャトーと同じ

意味に用いられているフランスでは1930年の法律でclos、シャトーとともに

ドメーヌもこれをラベルにうたうことが禁止されたが1942年、48年の法改正

で原産地名称権をもつワインでその名に値する実在の農業経営者の生産する

物に限りdomaineと表記することができるようになった。