ランソン Lanson (メゾン所在地区 ランス)

歴史も規模もシャンパン界でトップクラスのランソン

近代的な設備を取り入れながらも、伝統的なシャンパンを守り続ける。

シャンパンのメゾンの中では3番目に古いランソン(最古はリュイナール、2番目はモエ・エ・シャンドン)。

創業者であるドゥラモット家の2代目が後継者に恵まれなかったため、

シャンパン造りに精通していたジャン・バプティスト・ランソンに事業を譲ったことから、

1837年に現在の社名に変更されました。ちなみにランソンのボトルネックラベルやコルクに、

2代目のニコラ・ドゥラモットがマルタ騎士団に所属していたことに由来しています。

このように歴史あるメゾンながら、現在は近代的な工場で製造が行われています。設備は最新鋭でも、

重要な工程は必ず人間の目で確認をする、目が疲れてミスが起こらないよう30分交替で行うなど、

あくまでもシャンパン造りの主役は人間。近年多くのシャンパンで取り入れられている

マロラクティック発酵(高酸度のリンゴ酸がまろやかな酸味の乳酸に変わる現象)もあえて行わず、

昔ながらのシャンパンの味わいを守り続けているのも特徴です。代表的な銘柄、ブラックラベルを飲めば、

ピノ・ノワールの力強い、それでいて優雅な味わいにシャンパンの伝統を感じることが出来るでしょう。

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ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン Veuve Clicquot Ponsardin

亡き夫の遺志を受け継いだマダム・クリコが築いた世界中で愛される偉大なるメゾン

ヴーヴ・クリコは、1772年に銀行家として成功したフィリップ・クリコによってランスに設立された

歴史あるメゾン。しかしフィリップに嫁いだポンサルダン家の令嬢こそが、このメゾンの主役なのです。

マダム・クリコは結婚後4年にして未亡人(ヴーヴ)となり、夫の遺志を受け継いで

シャンパン事業に自分の人生を捧げようと決意しました。当時はフランス革命の真っ只中にあり、

王室や貴族を取引先としていたシャンパン事業者には過酷な状況でした。

そんな中、マダム・クリコはロシアをはじめ海外に販路を広げます。

その結果、彼女がメゾンを取り仕切り始めた当初は5万本だった販売量が、

彼女が亡くなる頃には300万本にまで増加するほどの大成功を収めました。

その数字だけでも、彼女のビジネスウーマンとしての優秀さがわかります。

また、マダム・クリコは製造にも情熱を傾け、様々な功績を残しています。

その中でも最大と言えるのは澱を取り除く技法”ルミアージュ”を考案した事だと言えるでしょう。

それまで澱によって濁っていたシャンパンを飲んでいた人達にとって、

マダム・クリコが造り出した透明なシャンパンは衝撃を与えたに違いありません。

またロゼ・シャンパンを初めて海外に出荷したのもこのメゾンです。

ロゼには赤ワインをブレンドする製造法と、果皮を残してワインを造る製造法とがありますが、

クリコが採用したのは前者であり、現在でもヴーヴ・クリコはこの製法を貫き通しています。

「品質はただひとつ。最高級だけ」をモットーに、品質第一主義に務めてきたマダム・クリコによって

磨き上げられてきた同社のシャンパンは、現在世界120か国以上で販売されています。

ヴーヴ・クリコの繊細で美しいシャンパンを飲めば、

マダム・クリコが獲得したラ・グランダム(偉大な女性)という呼び名にも納得することでしょう。

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